鉄眼禅師が、仏教典籍の集大成、一切経の版木を17年にもおよぶ大事業のすえ、1678年初版完成され、現在も6万枚の版木が保存され活用されている。この大事業には多くの物語があるという。まず第一に隠元禅師が大切にされていた大蔵経を惜しげもなく鉄眼に与えられた。第二に版木とする良質の桜材を必要とした。第三に大量の和紙。第四に腕利きの版木彫師と多くの摺師。当時の失業武士の雇用。なるほどである。第五に今日の金額で百億以上の大金が必要。鉄眼禅師は一貫して「貧者の一灯」の募財にこだわり全国行脚。ここからが凄い。その途中2度の大災害・大飢饉が発生し、集めた募財をその都度、難民救済のために提供され、あらためて募財に廻られたという。とても出来ることではない。活仏といわれた所以である。1681年完全完成。1682年なくなられている。53歳であった。日本の文化に大いに影響を与えたこの大事業の陰には、一人の日本人の生き様があった。

さらにこの事業は、秋田出身の了翁禅師の協力を得て大きく進展。出版された経本は、買い手がなければただの紙屑。了翁は行っていた売薬事業の収益金を元手に勧学講院の設立と各地に経蔵を寄進し、江戸仏教学興隆の基礎をつくった。図書館の前身となる施設が、この時代早くもオ−プンしたという。しかも禅師は、遠来の閲覧者のために宿舎を造り、食事と漬物まで提供している。この漬物は「福神漬け」と呼ばれ、今日も人気の食品である。了翁禅師は、難行苦行のすえ得た財をすべて、この事業の発展のため提供されたのである。禅師には、驚くべき逸話がある。またの機会にゆずりたい。

 歴史の舞台の陰には、優れた日本人の姿があった。

萬福寺宝蔵院を訪ねて

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蝉の声が、なんとなく気ぜわしく聞こえる夏の暑い昼下がり、ガイドクラブのメンバ−ほか有志15人、萬福寺宝蔵院を訪ねた。多くのメンバ−は、初めての訪問であった。

“皆さん、お暑いのにご熱心なことで”と迎えられた。このご住職が実に素晴らしい。 お話がわかりやすく、リアルでそして禅的である。それにどうして同じ人間なのにそんな立派なお顔をお持ちなのかと聞きたくなる、そんなお顔のご住職であった日ごろTVで日本の政治家を見ている目には新鮮に映った。永い禅の修業の人間表現なのだろう。お会いしただけで、充分われわれの学習になると思った。

見学とお話のなかから、二つのスト−リ−をご紹介してみたい。


見学ののち、小高い丘のオ−プンスペ−スで、住職のお話と質疑応答の時間を持った。

それはまるで心地よく吹き抜ける風が、私たちを癒してくれるようなひと時であった。心からの感謝を申し上げ宝蔵院を出た。そこは日本の暑い日常の風景であった。

                           2011/07/25      みつお