「PartV:ワインの歴史」

 さて、ワインは紀元前600年ころにボルドーやランドック地方でブドウが栽培されたのが始まりで、「花の都」パリはその当時フランス最大のブドウ畑だったとか。 
 
 当初フランスには白ワインは無く、12〜13世紀に「十字軍」に従軍した人々が、ギリシャやイタリアから白ワインを持ち帰り製造が始まったそうです。また、現在人気の高い赤ワインが広まりだしたのは14世紀になってからとか。
 
 紀元前1世紀から13世紀にかけては、主に教会の儀礼に関連して飲まれたので、教会と修道院がワイン生産の主力だったそうです、むやみに飲んで酩酊するものではなかったようです。ルネッサンス期以降飲料として広まり17世紀になってやっと上流階級の間で好まれだしたとか。

 一般市民に広まったのは18世紀で、このころ居酒屋にかけられる税金を逃れるため、川沿いに屋台のような店が進出したのが、今も見られる光景の始まりのようです。

 19世紀にはアメリカからアブラムシが入り込み、天敵がいないためてヨーロッパのブドウの木は壊滅状態になったそうですが、これを救ったのがアメリカとフランスの木の接ぎ木。欧米合作が現代みられる良質なワイン供給の源となったそうです。
 
カヌレ:ワインの製造とともに生まれたお菓子 
「PartW:AOC」

 フランスのワインの原産地の呼称統制度といったもので、生産地、ブドウの品種、栽培法、醸造法、アルコール度数など、その特性を厳しく制限する制度です。フランスワインの利益の80%以上を、このAOCワインがあげているそうです。
 ボルドー地方のAOC法上のワインの格付けは「広い地域の名前は格付けが低く、狭い地域の名前になるほど格付けが高くなる」のが原則だそうです。

      

ボルドーの昔の紋章

「PartU:世界遺産」

 経済の中心地として発展した町のたたずまいは今も引き継がれ、数多くの歴史的な建物があります。そのうち三つの教会が世界遺産に登録されていますが、地名の由来「ブルド=泥」に関連する興味深い話があります。

 世界遺産の「サン・ミッシェル大聖堂」とその「ピー・ベーラン尖塔」が話の舞台。教会は普通聖堂と塔が一つになっていますが、土地が泥で軟弱なために重量に耐えられず、建物の重さを分散させるためそれぞれ別の建物として建てられています。

 また、「サン・ミッシェル大聖堂」の地下の納骨堂からは、埋葬された人のミイラが発見されています。これも、地盤が泥土で水分を多く含んでいたので、腐食しなかったためだそうです。
 
 そのほか、ナポレオン・ボナパルトによって作られた「石の橋 ピエール橋」。17のアーチがありますが、これはナポレオンの名前が17文字なのにちなんでいるとか。
 
 もう一つ興味を引いたのは「プルス広場」の「水の鏡」。花崗岩の敷き詰められた広場に2センチメートルの水がはられ、鏡のように周りの風景を写すところから名づけられたのですが、5分ごとに鏡→噴水→霧と変化し、市民は水着になって水と戯れるそうです。
フランス理解講座 歴史の町ボルドーとボルドーワイン 
「PartT:地名と歴史」

 町ができたのは紀元前で、AC1世紀には古代ローマのカエサルに征服されました。その地名は旧名を「ブルディガラ」といい、「ブルド=泥」、「ガラ=入り江」に由来するように土地の状態はあまり良くなかったようですが、重要な流通拠点を占めていたようです。

 有名なワインの生産は4世紀から始まり、街の産業として発展したようです。その成長につれて防御のために12世紀には城壁が作られ、現存するほとんどの教会などもこの時期に建てられたそうです。
 その後も街の力は拡大を続けて、18世紀には植民地とヨーロッパを結ぶ貿易の中心地として、ヨーロッパを市場としてフランス第一の経済都市となっていました。

 おかげで、フランスに行った時に少しは知ったか振りを装えそうな 「フランス理解初級講座」でした。 (編集子)

  石の橋 ピエール橋

 サン・ミッシェル大聖堂と尖塔

 宇治国際親善協会主催の「国際交流講演会 歴史のまち、ボルドーとボルドーワイン」を聴きに行ってきました。講師は、京都府国際センター国際交流員として活躍中の、ボルドー出身のアリス・ボナミさん。実にきれいな日本語で紹介されました。

 ボルドーの歴史からワインの歴史やその種類、現代若者のワイン離れ(?)まで広範囲にわたり、時折クイズを出して私たちの理解度を試すなど、参加者の気持ちをうまく掴んだ講演でした。 資料のタイトルは「宇治市国際親善協会フランス理解講座」。そのさわりを少し。

 アリス・ボナミさん

プルス広場 「水の鏡」と水遊びを楽しむ人々