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           糖尿病に生かされて

 

●随分以前のことだが、NHKのテレビ報道「人類の誕生」を見た。印象深く今も記憶に残っている。
700万年前、人類の祖先は約20種類誕生していた。他の微生物と同様に、絶滅と進化を繰り返し、やがて200万年前2種類となった。

 ホモエルガッセルとタウントロップスである。ホモエルガッセルは170cmで肉食。それがなんと動物の食べ残しを食べていたという。これに対してタウントロップスは150cmで草食。木の根や果物を食べていた。

 やがて気候変動。アフリカ大地溝帯が出現。サバンナが拡大した。テレビでよく見るあの光景。あの果てしなく広大なサバンナに多くの動物の群れが同時に生活しているのである。そして弱肉強食の時代。人類の祖先は、非常に危険な状況に置かれたのである。

 ついにホモエルガッセルに劇的変化がおこった。危険を承知で積極的に肉食を選択した。狩が発達した。脳の肥大化。智慧の発達である。

 そしてホモエルガッセルが生き残ったのである。われわれ人類の祖先が生き残ったのである。

 非常に危機的な状況の中で、挑戦を繰り返し智慧を発達させ生き残ってきたのである。

 つまり、平穏な生活を選択せず、危機的生活の中で、生き残っていく智慧を発達させてきたと言える。

●ところで、私は、これまでの長い人生のなかで、智慧には足し算の智慧だけでなく、引き算の智慧も存在するのだと思うようになった。

 世界の歴史が示すように、人類はその暮らしを豊かにするためさまざまな文明・文化を発展させてきた。足し算の智慧である。しかし、その文明・文化が人間の暮らしの豊かさを招来するが、必ずしも人間を幸せにするものではないと気づき、やがて引き算の智慧にも関心がもたれるようになった。そのことは同時に人間の欲望という大変やっかいなものに向き合うこととなったのである。

●私たちは、これは楽しいこと、これは楽しくないこと、と自然に区別して考えるものだが、しかし、仏教ではすべてが苦であると考える(一切皆苦)。苦の根源は、無明であると説く。人間は、正しい智慧を持たず、怒りや欲望にまみれた無明の状態にいる。その無明の状態から生まれるさまざまな煩悩が、苦の正体だという。つまり「苦」の原因は、執着(煩悩)であるという。そこでよく知られている「般若心経」では、次のように言われている。「つまるところ、何かに執着することが足元をすくわれる迷いのもとであるから、五官の対象になるものは、すべて「空うつろ」なものである。ただ、因と縁によって、そのように見えるだけのものである―と、空ずるとともに、空を知る般若波羅蜜多―“般若の智慧”を学ぶことだ」と。

奥深く難解である。

東大寺長老の清水公照師のお話をご紹介したい。(松原 泰道氏「276文字が語る人生の知恵−般若心経入門」から)

清水師が、ドイツの青年から「無とか空という思想はどういう意味ですか?」と問われたといわれる。日本人でも理解困難な問いである。ましてや、無も空もろくに考えたことのない外国人に納得させるのは容易ではない。

長老の言葉である。

「腹がへったら、何でもうまい」と言ったら、彼はどうやら理解できたようです。“無”とか“空”を形而上学的には、むずかしいことを言う。ずばり言えば「腹がへったら、何でもうまい」でしょう。自分が何かを持っていると喜びがわいてきません。無我になると、世界は一変するものです。

清水長老の答えは、実に妙を得ていると松原師はいう。

●糖尿病と付き合って13年。いろいろと感ずることがある。糖尿病は、生活習慣病といわれる。つまり生活習慣で生まれたのであれば、生活習慣のありようで改善できる見込みがあるということだが、経験的に言って、いくら糖尿病の知識を得てもたいして解決にはならないということだ。知識でなく“生きる智慧“が必要と確信する。それはつまり生きるための実践力であり、自分の欲望との関係につきる。

正直言って、13年の前半は、正常に戻すべく懸命に食生活の大変革・毎日の運動に取り組んだ。やや戒律的生活であった。しかし後半では、少し考え方が変わり自分の欲望と折り合いをつけるようになった。少し人生を楽しみながら、時には欲望をコントロ−ルする−そんな生活になった。その結果、一旦戻った正常値から少し要注意のレベルとなっている。どうしたものか。

●糖尿病とのあり方は、自分の生き方と深く関わってくる問題である。人生をどう生きていくのか。本当の幸せとは何か。いろいろと考えあわせると、結局、つまるところは、昔よく聞かされたおふくろの言葉、「腹八分目、医者いらず」に行き着く。なんとすばらしい引き算の“生きる智慧”ではないか。

 改めておふくろに 合掌。

  ふかしぎよ 糖尿病に いのち受く       みつお